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「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」感想/本当の敵はボビーではない

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こんにちは。Tanuki(@tada11110)です。

7月6日に公開された「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」がとても良い映画だったので、ご紹介しますね。

ここ最近「Me too」運動をはじめとした女性差別撤廃のムーブメントが、インターネットを中心に高まっています。また、ハーヴェイ・ワインスタインを筆頭に、次々に大御所映画人がセクシャル・ハラスメントを告発されたのも記憶に新しいと思います。

そんな中公開されたこの「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」は、すべての女性たちに勇気を与え、映画を見る私たちの視点に深みを与えてくれました。

この記事では、その「深み」の部分に触れていきたいと思います。核心的なネタバレはしないように努力しますが、物語の流れには触れているので「ネタバレ絶許」という人はぜひ鑑賞後に読んでくれたらうれしいです。

 

バトル・オブ・ザ・セクシーズ」2つの大きなポイント

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この映画は「女性をナメてた失礼な男性をギャフンと言わせてスッキリ!」というだけの単純なストーリーじゃありません。もちろん「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」を見た人は、そんなことは了解済みでしょうけど。

さらに言えば、「女性の権利獲得への闘争」だけを描いた映画ではないと思うのです。

たとえば私は以下の2つのポイントが気になりました。

  • ビリー・ジーンは同性愛者
  • ボビーにかかったマスキュリズムの呪い

女性VS男性の構図をメインとして、いろんな視点での葛藤や「生きづらさ」のヒントを描いている。それが「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」に「深み」のあるゆえんです。

ここからは、上に挙げた2つのポイントについて掘り下げて考えていきます。

 

ビリー・ジーンは女性と恋に落ちる

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エマ・ストーン演じるビリー・ジーンは既婚者で夫がいますが、美容師のマリリンという女性に出会い恋に落ちます。それまで女性を性的対象として認識したことがなく、自分が同性愛者である自覚もなかったビリー・ジーンは、マリリンとベッドを共にする前に葛藤するのです。

自分が同性愛者だと周りにばれるのを怖がる彼女の言葉は、同性愛者として生きてきたであろうマリリンの心を容赦なく刺したでしょうね。ビリー・ジーンはそれに気がついていない。とても切ないシーンだと思います。

女性(自分)に対するステレオタイプや差別に敏感な彼女も、他者へ向けた自らのステレオタイプには鈍感なんですね。(この構図は「ズートピア」のジュディを連想します)

そもそもビリー・ジーンはかなり保守的な家庭で育ち、同性愛者としての自分を長らく受け入れることができなかったんだそうです。そんな彼女の境遇がマリリンに対しての失礼な態度をとらせてしまったのかもしれません。

映画の中で明言されてはいませんが、アランカミング演じる衣装デザイナーのテッドも、たぶん同性愛者ですよね。

男性の身体を持っている彼は「女性差別」に晒されることはありません。でも、ビリー・ジーンや他の多くの女性たちと同じように、「男性主義」に阻害されています。

ミソジニー(女性蔑視)」と「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」はホモソーシャル至上主義の元に共有されるからです。つまり女性も同性愛者も「男性同士の聖域」に紛れ込んだ異分子として排除されてしまうということです。

だから、テッドがビリー・ジーンを最後に抱きしめるシーンには、彼の希望も込められているんだと思います。みんなが阻害されることなくフラットに生きていける社会が、いつか実現することに対する希望が。

 

本当の敵はボビーじゃない

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さて、ビリー・ジーンは「フェミニストVS男性主義者」の闘いとしてボビー・リッグスに試合を申し込まれます。「男尊女卑」的な発言を繰り返すボビーを打ち負かし、彼に「間違っていた」と認めさせることこそがビリー・ジーンの目的なのでしょうか?

実はそうではありません。ビリー・ジーンとボビーはテニスコートの上で同じ「敵」と闘っていました。

ボビーは家族からの承認を何より欲していますが、そのための手段として「勝つ」ことしか知らない人です。

若いころからテニスで活躍し、勝って「人の上に立つ」ことで男性として認められてきた人。自分よりお金持ちな奥さんと結婚した彼は、男性として認められる快感を味わい自尊心を保つためにギャンブル依存症になったのではないかと思います。

しかし、ギャンブルに没頭すればするほど家族からの信頼は失われていく。年を取ればとるほど広がる理想と現実のギャップにボビーは疲弊しています。「勝てない自分」「威厳のない自分」に彼は価値を感じることができない。

彼もまた、「男性主義」「ホモソーシャル」という社会のシステムによって生きづらさを味わっている一人なのです。

そう思うとメディアの前や家族の前で道化を演じるボビーの姿に憐れみを感じます。あの陽気なふるまいやバカげた悪ふざけも、ホモソーシャルの中で彼が立ち位置を確立しようと作り上げた手段なのかもしれないからです。

ビリー・ジーンがボビーに勝てば、2人は同時に大きな抑圧から逸脱できる。

「被差別者が対立する差別者もまた社会という大きな敵の被害者である」というのは、「シェイプ・オブ・ウォーター」の感想でも書きました。「シェイプ・オブ・ウォーター」の「対立する差別者」というのはご存知ストリックランドのことです。

kasumigaseki0822.hatenadiary.com

作中でストリックランドに直接的な救いが与えられることはついにありませんでしたが、ボビーは救われました。

試合のあと、彼の元に一人の人物が会いに来る。勝ち負けは関係なしに、彼はひとりの人間としてちゃんと承認されるのです。そのことを思うと、ちょっぴり涙が出てきます。

ビリー・ジーンは、自分をテニス協会から追い出したジャックに対してこう言います。

「ボビーはわかってやってる。あなたは違う」

ビリー・ジーンはボビーが本当の敵ではないとわかっていたんでしょうね。コートの上の2人はスポーツ選手としてお互いを尊重し合い、真剣な試合を繰り広げていました。

 

バトル・オブ・ザ・セクシーズ」闘いはまだ続く

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この映画は実際にあった試合をモデルにしていますが、それは40年以上昔のことです。ビリー・ジーンが女性の権利をかけて闘った試合からもう40年経っているということです。

それなのに、私たちは果たして前に進めているのでしょうか。

昨日、東京医大が2011年から女性受験者の点数を不当に減点していたことが明らかになりました。杉田水脈議員の「同性愛者は生産性がない」発言もありました。

ビリー・ジーンが必死で勝ち取ったものは、今の時代にしっかり引き継がれていると信じたい。しかしそれにしても、成長が遅すぎるのではないかと思うのです。

もうとっくに気がついていた人も多いと思いますが、私をはじめとした一部の女性たちは最近やっと気がつきました。

私たちは、マリリンを傷つけることのないように、ボビーを倒すことだけを目的化しないように、皆で協力してビリージーンやテッドの望んだ社会を目指していかなければならないんだと思います。

 

私たちはどんな社会を理想としていくのか、物語を通して見せてくれた「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」とてもおすすめです。