他人だけど、家族。家族だけど、他人。「幼な子われらに生まれ」感想
「幼な子われらに生まれ」を見ました。
かなり小道具や衣装による演出の効いた映画でした。
浅野忠信演じる主人公・田中は、妻の連れ子である小学校6年生の薫と、まだ小さな恵理子を育てています。
田中は優しくて良いパパに見えますが、思春期に差し掛かろうとしている薫は田中を拒絶し始めます。
「パパじゃない。あたしのパパは一人だけ。パパに会わせて」と。
田中は薫を説得しようとしますが、薫がどうしても納得しないので、仕方なく薫と恵理子の本当の父親・沢田に会いに行くのでした。
しかし、沢田は実の子供たちの話を聞いても全く興味を示さず、「うっとうしかった」とさえ言うのです。
二人の「父親」の対比としてわかりやすいのが、タバコの描写です。
田中はこのシーンの少し前で、禁煙をしていると話しています。
さらには、飲み会や休日出勤も家族のために控えているようです。
しかし、沢田は田中と初対面のシーンでおもむろにタバコを取り出して口に加えるのでした。
ここで沢田が取り出す銘柄が「echo」。
エコーを吸っている方には失礼ですが、正直この銘柄のチョイス「沢田は父親になる気は全くありません」という意味の演出だと思ってしまいました。
エコーといえばコンビニなどで買える銘柄の中では一番安く、タールの高いタバコです。
家族のために禁煙している田中と、おそらくヘビースモーカーで安いタバコをばかすか吸っている沢田。
どっちが「良い父親」に見えるかは一目瞭然です。
そもそも、田中は「良い父親」になろうと必死で努力しているのが他の部分からも伝わってきます。
たとえば服装。
仕事中のピシッとしたスーツ姿はもちろんのこと、彼は休日子供たちと過ごすときですら、気の抜けないしっかりした服装でいるのです。
彼にはきっと理想の父親像があって、役割を遂行するために気負って暮らしている。
冒頭のシーンで前妻との子・沙織と会う前に靴紐をぎゅっと結び直していますが、田中は薫や恵理子だけでなく、実の娘に対しても理想の父親であろうと気負っているのです。
すごく真面目で不器用な人なのですが、その気負いのせいで徐々に家庭内がうまくいかなくなってしまったんだと思います。
まだ田中がほんとうの父親ではないと知らない恵理子に対して、薫がひどい言葉を投げかけたとき、田中は家を出て車の中で久しぶりにタバコを吸います。
彼は家族のために禁煙する理想の父親であろうとすることに疲れ果て、あのシーンでほんとうの意味で「一服」したのでした。
一服したあと田中は沢田にもう一度頼み込み、薫と会ってもらえるようにセッティングします。
この時、薫との待ち合わせに沢田はスーツで現れます。
普段仕事中にもスーツを着ない沢田が、髪を撫で付け着なれない灰色のジャケットとズボンを着て、お土産を携えて薫を待つのです。
どうしたら喜んでくれるか考えて、物で機嫌を取ろうとする不器用な父親の姿は、仕事帰りにケーキを買って帰る田中の姿とも重なります。
沢田は決して「良い父親」ではなかったし、本人もそうなれるとは思っていません。
でも、だからこそ沢田が薫のために用意したあのプレゼントのことを思うと、涙が止まらなくなるのです。
田中が久しぶりに会ったときに沙織に言っていた言葉を、沢田も恵理子に対して繰り返します。
「大きくなったなあ」と。
子供は大きくなる。それに気づく。
いつまでも同じままではいられない。
田中は結局、今目の前にいる家族とほんとうの意味で向き合うことができていなかったのかもしれません。
実の娘を「友達」と言い、今の父親と対面する(できてよかった)ことで、田中は奈苗や薫や恵理子と向き合うことができたのでしょう。
感情と感情がぶつかり合うシーンが多く、ひどい言葉や死も出てくるので、鑑賞中はすごく辛くなりました。
でも、最後まで見ればそれも必要だったとわかる。
親になったときに見返したい作品です。