知らない君に会いたかった。「君が生きた証」を見た。
見たらきっと好きになってしまうだろうなあと思っていた映画「君が生きた証」を見た。好きになってしまいました。
ちょっと重要なネタバレにも触れてるので、見てない人はできれば見てから読んでほしいな。
監督は俳優であるウィリアム・H・メイシー。この人。
サムとクェンティンが演奏していたクラブのオーナーさんを演じていて、出番は少なくてほとんど台詞もないけど音楽を愛するいい人なのが伝わってくる演技だった。
音楽映画が好きだ。
去年だか一昨年だかに「音楽映画ベストテン」なんて企画が流行った。
「セッション」公開直後だった気がするから、一昨年だな。
それを思い返す。音楽映画って、お気に入りなのがたくさんあるよ。はじまりのうた、セッション、マダム・フローレンス、シング・ストリート、ジャージー・ボーイズ、幸せを掴む歌、FRANK、チョコーレートドーナツ、味園ユニバース、色即ぜねれいしょん、少年メリケンサック……。
ガーディアンズやシェフみたくサントラの音楽が印象的な作品も良いし、ミュージカル映画も含めると膨大な量になるけど、外れなく全部好きにならずにいられない。
最高のふたり、イエスマンもいいな。
変なダンスシーンが出てくる映画もいい。シェアハウスウィズヴァンパイア、エクスマキナ、バッファロー66……。
脱線してしまったけど、とにかく音楽映画が好きだ。
お父さんを描いた映画に弱い。
父親と息子の友情や絆や確執や複雑な関係性、血がつながってなくても形成される擬似父子関係。お父さんが悲しんだり、お父さんに悲しまされたりする。ふがいないお父さんに偉大なお父さん。どれにしろ、なんだか感動してぐっと胸を掴まれてしまう。
それにはうちの家庭が母子家庭であることが大いに影響していると思う。
どんなお父さんであれ、お父さんは私にとって特別だ。
「君が生きた証」は、息子を失ったお父さんが、息子が生前作った曲を歌う映画なのである。「好きになるかもしれない」と思うのも当然だ。
ところがこの映画、その二つの要素だけでも十分に良い映画になりそうなのに、劇中観客にちょっとした衝撃を与えてくる。
ここがこの映画のポイントになってると思うので、見てない人はほんとにこの下読んじゃだめだよ。
大学での銃乱射事件で命を落とした息子、その息子の曲を自分が作ったと偽って歌う。
(サムは自分で作ったと進んで主張してはいないけどね)
あえて見せていなかった真実が私たちに知らされる瞬間がある。
強烈な映像として。
その真実を知ったとき、「死んだ息子の歌を歌う」という行為の意味が180度変わってくる。
ただの被害者遺族だったら、あそこまで記者が追いすがってくるのは確かに変だ。
終盤、サムが被害者の名前をなぞりながら耐え切れないように嗚咽を漏らすシーンは見ていられない。
息子一人ではなく、死んだ他の学生たちのことまで含めて、重く悔いている。
だからサムは船に隠れていたのだ。抱えきれずに、押しつぶされそうになって。
サムが仲良くなった楽器屋のデルは、曲を作ったのがサムの息子だったと知って、彼を責めるような声を出す。
被害者遺族の気持ちを考えろと言いたげだ。
しかしサムは言う。「俺の息子だ」
彼が最後に歌う歌でも繰り返し言う。「息子だ」と。
息子の歌を演奏するたびに新しい息子に出会えた気がしていた、
でもそれは君だった。と伝えたクェンティンのことは、
息子代わりに想っていたのだろうな。
でもまだ先に進めないでいる自分が足を引っ張るわけにもいかないと、
道を違えても彼の背中を押したんだ。
それだけでもうサムは前に進めてる。
明言はなかったけど、ラストの一曲。
サムが続きを書いたんだよね?
良い曲だったなあ。ほんとに良い曲ばかりだった。
私と同じように音楽映画やお父さん映画が好きな人は、絶対に見てはずれなし。
昨年不慮の事故で亡くなったアントン・イェルチェンの演奏や歌唱もすばらしかったです。
想像通り、大切な一本になってしまいました。