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ストリックランドにかけられた「呪い」『シェイプ・オブ・ウォーター』感想

シェイプ・オブ・ウォーター」を見て、みんながいろいろ言っている。

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私も言いたい。言ってもいいかな? じゃあ、言うね。

ちらほら映画のラストに触れてるからきをつけてね。

作品は水の中のように、深いグリーンに彩られていた。ギレルモ・デルトロ監督のこだわりが細部に感じられる美術や、全く違う世界に迷い込んだような不思議な音楽がとても素晴らしかった。

キャラクターも一人一人個性的。お気に入りはゲイで絵描きでリストラされて恋人もいなくて、さらに最近老け込んできてしまっているジャイルズ。

彼が食べられなくて、でも捨てずにずっと冷蔵庫にしまいこんでいたまずいパイのことを思うと、心がぎゅんっと切ない気持ちになる。「魔女の宅急便」のニシンのパイよりも哀しいよ。

 

みんなが特に話題にしているのは、この映画の悪役である「ストリックランド」というキャラクター。(左の人)

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マイケル・シャノンが演じるストリックランドは、主人公イライザと結ばれる「不思議な生き物」よりもっともっと恐ろしい。

実をいうと彼は「ザ・フライ」のセス・ブランドルと同じように、一つの事件をきっかけとしてモンスターに変容していくのだ。見た目の代わりに冒頭で食いちぎられた左手の薬指と小指が、化膿してどんどん腐り落ちていく。そして終盤、雨の中で車のフロントガラスに映る姿は、「不思議な生き物」と被って見える。彼はこの映画で何を失い、そしてどんな存在として描かれたのだろうか。

 

ストリックランドを巡って人々は悩み、考える。拘束された相手に拷問を行い、弱い立場の女性を性的に支配しようとし、まるで正義であるかのように黒人を侮辱する。主人公イライザや彼女と親しい人々に対する横暴は、「悪役」と呼ぶに値するものだ。

しかしながら、ストリックランドに感情移入し、彼を哀れに思う意見も多くある。

 

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この感想を書いた人は、必死に社会の「本流」から外れないために努力して、大学を出て仕事に励んでいる自分とストリックランドを重ね合わせている。

現代社会を生きていると、「普通」「まとも」でいることがどんなに大変か、日々実感することになる。

毎日学校に通って友人たちと仲良くすることが「まとも」、大学4年になったら黒いスーツで就職活動に励んで卒業までに内定を得ることが「まとも」、就職をしたら真面目に仕事をして成長し続けることが「まとも」……

気が遠くなる。少しでも道から外れたものは、「まとも」ではなくなってしまう。だから、いつ自分が「まとも」ではなくなるかと恐れ続ける。

 

作中ストリックランドはこういうのだ。

「いつまでまともでい続ければいいのですか」と。

あのシーンが唯一彼の「本音」がこぼれ出た瞬間であり、そしてそれは「悲鳴」だった。もう「まともでいようとし続ける」のがつらいのである。

 

上に挙げた感想ブログの一文、

きっとこれからマイノリティやアザースを主役に据えた映画作品が日の目を見る機会は増え続けていくだろうし、多分私はそのたびに少しずつ絶望するのだろう。
だけど私は、やっぱり強くありたいし、正しくありたい。

というところに少しゾッとする。

映画の中でのストリックランドの運命を見て、彼の抑圧された日常に共感した上で、「まともであろうと心がける」ことを、この人はまだ「強く」て「正しい」と思っているんだ。

この人やストリックランドが「まとも」であろうとする理由はなんなんだろう。家族のためとか幸せのためという言葉は一言も出てこない。ただ「そうあるべき」とされているからだ。自分も「そうあるべき」だと思うから、それだけで模範的な生き方を求め続ける。

そこには自分の意思がない。彼らは自ら選択しているつもりでも、選択させられている。緑が嫌いだったけど、「理想の男性像」を手にするために勧められるままキャデラックを購入して、嬉しそうに乗り回す。「ポジティブ思考の力」という本を読んでいるのも、きっと彼の意思というよりは、誰かに勧められたか誰かが読んでいたからだ。

 

そして、彼は実は誰よりも孤独だ。心を許せる相手がいない。

理想的な家族の中で全くしゃべらず、ニコリともしない。妻とのセックスの際に「黙れ」というのは、彼がセックスを義務的にこなしているだけであり、余計な演出は必要がないからだ。(この描写、女性を虐げているとかドSだからとか受け取ってる人もいたが、だとしたらあまりにも楽しくなさそうだし、彼の意思はそこに全くないように思えた)

 

イライザが愛した「不思議な生き物」は、本当に神様だったんだろうか。

今改めてラストの展開を考えてみると、ストリックランドには「救い」が与えられたんじゃないかと思えるのだ。イライザの心を癒し、ジャイルズの髪の毛を生やしたように。

作中の「悲鳴」からもわかるように、ストリックランドは「まとも」でい続けることに疲れていた。指を失ってもなお「まとも」を追いかけてモンスターになりかけていた彼が、声も失えばもう完全に「まとも」ではいられなくなる。そこで彼にかけられた呪縛は解ける。これまでの人生における目的を失って絶望するか、すっきりするのかはまた別の物語だ。私はストリックランドが新しい道を進んでいくことを願う。

 

イライザもゼルダも、ジャイルズも、そしてストリックランドも、彼らはみんな社会の犠牲者だ。デルトロ監督はイライザたちマイノリティーのことを「The Others」(そのほかの人たち)と呼び、「シェイプ・オブ・ウォーター」を彼らの逆襲劇だとしたが、私はストリックランドも「The Others」だと思う。みんな社会の中でああいう風にしか生きられず、「生きづらさ」を抱えている。

ラストでジャイルズが語ったイライザの運命が本当なら、彼女は社会に勝ったのだ。みんなの思いを背負って、逆襲に成功したのだ。

 

だから、私の解釈としてはそもそも「ストリックランド(マジョリティー代表)VSイライザたち(The Othes)」という構図ではなかった、ということになる。

ストリックランドよりももっと大きな大きな存在に戦いを挑んだお話だったと思うのだ。そのほうが、私はこの作品を好きになれる。

 

最後に、ギレルモ・デルトロ監督のアカデミー作品賞受賞がとっても喜ばしいです。

昨年日本アカデミーで最優秀作品賞を「シン・ゴジラ」が獲ったこととかも思い出して、今後の映画界がさらに楽しみになりました。